不思議などは無い

海外に出ると、必ず通訳の人が付いてくれる。
何時も思うのが、翻訳する力というか、他国の文化を自国の言葉に置き換える力に感嘆する。

もちろん、それは、その人の勉強の成果だ。
その中でも、きっと置き換えた言葉に違和感が発生し、始終考えている人も居るのだろうと想像する。
そこのところが、能力差として現れて来るのだろう。
それは全ての技術、全ての能力も同じだ。

その通訳を「凄い」とは思っても「不思議な力」だと思う人はきっといないだろう。
それは、明確には分からなくても、通訳の人が勉強して獲得したものだと分かるからだ。
武道の技も同じ代物だ。
「不思議」ではなく獲得した結果だ。

ただ、その一端を「不思議な力」だと売り物にする人がおり、それを真に受ける人が多いから、「不思議な」となるだけだ。
例えば、その一端をセミナーでやれたところで何の意味もない。
その一端から全体を考え出せる力が無ければ、一端の意味が無いからだ。

私はフランス語が全く分からない。
で、フランス語圏でのワークショップで、一つのフレーズを教えて貰うとする。
そしてそのフレーズを、受講生に使ってみる。
受講生は決まって「????」となる。
すると何人かがより、ああだ、こうだとそのフレーズを検討してくれる。
その結果「あああ、日野の言いたいことはこれだ」となる。

つまり、発音は別にして、単語の意味も言葉のニュアンスも、組み立ても何も知らないし分からないのに、口から出しても「それだけ」のもので、フランス語の一端にもならないということだ。

武道で「相手の身体からの情報を感じ取る」ということをベースにして稽古をする。
それが武道の一端になる日はあるのか?

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