コンセプト?それより実際は

「どんな時間を創ろうか」となった時、大方は「コンセプト」などの話になる。
もちろん、自分の中で、あるいは他人に対する表現としての「コンセプト」は大事だ。
特に現代は「理解の時代」で、頭でっかちの人が多いから、このコンセプトは、という考え方は大事だ。

しかし、その事と実際の演奏や舞台展開は、全く別物なのだ。
ここをよく分かっていない人が多すぎる。
ジャズ現役の時には、評論家と称する人達が、私達の演奏を聞きやたら小難しくまとめた評価を書いていた。
その人達にとって、音は自分の小難しさを引き出す為の材料に過ぎないのだと、その時知った。
つまり、低いレベルの自己満足に過ぎないのだ。
そう言った評論家達の影響で、フリージャズは小難しいものとなってしまった。
それこそコンセプトは〇〇という具合だ。

その後ダンスの世界を覗いた時も、このコンセプトなる言葉の多さに驚いた。
それと自分が舞台で見せているダンスと、どんな関係があるというのだ。
コンセプトを明確にすれば、舞台やダンスが良くなる、つまり、身体の動きの質が変わるとでも思っているのだろうか。
そんな事を、その時期、徹底的に突っ込んだ。
「一体、舞台で何を見せたかったのか?」そんな質問を繰り返した。
答えは決まって「私達のコンセプトは」となる。
「そんなことはどうでも良いよ、それより、どうしてそんな幼稚な動きで、幼稚な内容なのか、もしかしたら自分のやっている事が、自分のコンセプトと合致しているとでも思っているのか?」

2年前にも書いたが、フィンランドで演劇の公演をした。
演目が終わりアフタートークの時、観客から同じ事を質問された。
「この演劇のコンセプトは何ですか?」私はすかさず「あなたは、どう捉えましたか?」と質問し返すと、その観客は感想や意見などを混ぜて語ってくれた。
「その通りです」私は笑いながら答えた。

作品は提示された時点で、観客に委ねるしかないのだ。
どう捉えるか観客の自由だ。
という視点を持って作品を作っているのか、だ。
それは誰のどんな意見があろうが事実だ。
「どういう時間を創り出すか」というのは、実際的な時間軸の話だ。
これらの話は、企業でいうと「企業理念」と、実際の仕事との向き合い方の話だ。

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