打ち合わせ?そんなものはいらない

先日、愚息との話の中で「他の楽器とコラボをやる場合、どんな打ち合わせをしていたのか」と聞かれた。

振り返ってみると、そうそう打ち合わせをしたことがない事を思い出した。
それはレベルが余り離れていないから、つまり、楽器や音楽、ジャンルが違っても、レベル差が少なかった、ということだ。
例えば、1時間の舞台をやるとする。
それでも、綿密な打ち合わせはしない。
そこには、どんな1時間という世界を作って行けるのか、という創造力があり、尚且つ即興的に対応出来るから、という実力があり、信頼できるからだ。
もちろん、一番大事なのは、即興的に対応出来る能力が有ることだ。

私はドラムだ。
バンドボーイ時代から振り返ってみると、もちろん、ドラムを演奏出来るようになる事が一番の目標としてあった。
がしかし、演奏を聞いている時、「私ならこうする・こんな音楽にする」というような事で頭が一杯だった。
あるいは、「どうすれば、メインの楽器が引き立つか」そんな事を考えていた。
だから、曲がりなりにも演奏が出来るようになった時、曲のアレンジというか流れを、全部私が指示を出し譜面にもした。

ドラムの技術も、曲想も、音楽も、全部で一つだ。
その意味で、ドラムの技術よりも、「どんな音楽にしたいのか」の方に興味があった。この事がドラムの技術と密接に関係していたので、ドラマーの友人達の技術とは、ある意味で、全く違った練習方法を発見していったのだ。

今から考えると、「打ち合わせがない」という無謀な舞台をよくやっていたと思う。
しかし、その「生」の感覚だけを大事にしていたからだ。
コラボの相手は不安だったに違いない。
しかし、結果として期待を裏切り、コラボの相手が想像以上のものが舞台に現れたのだから、観客も舞台側も相互に大満足だった。

そこから考えると、入口は「どんな1時間を作りたいのか」だろうし「どんな曲にしたいのか」だろうと思う。
来年、愚息とコンサートをしようと企画している。
まずは「どんな時間を創ろうか」だ。

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