飛躍は当人次第

身体のポイント、例えば何時も稽古の最初にする「肘」のポイント。
どうしてそこを感覚できると、二の腕や前腕に力みが生まれないのかは分からない。
間違いなく「肘」をガッチリと握られているにも関わらずだ。
もちろん、私は分かろうとはしていない。
分かっても仕方がないからだ。
それよりも、自分で得ているポイントをもっと小さなポイントに絞り込みたいだけだ。
そうすると、きっと、今以上に力みが無くなるだろうからだ。

この小さな作業の繰り返し、もっともっとという探究心だけが、そのことを実現させるのだ。
ポイントだけに意識が向き「肘」が動く。
ということは、他の部位、あるいは、身体全体の身体で捉えている認識と意識が相当明確だということだ。
つまり、肘と他の部位が切り離されていることになるのだ。
武道としては、必須の身体操作だが、他のジャンルではこれほど精密な操作は必要ではない。

このポイントを感じ取るということが出来ない人は、「感じ取る」ということを理解していないからだ。
それよりも「肘が下に動いた」という実際の動きに視点が囚われてしまっているからだ。
しかし、そこが入り口であって、間違いではない。
そこから「ポイントへ」という飛躍は、当人が作らなければ他人が作る事も教える事も出来ないのだ。
つまり、人は他人を直接教えることは出来ないということだ。
そういった事は、こういう身体操作という、実際的行動を通した方が分かり易いのだ。

Follow me!