置き換えから、子育て?
人と話していると、「置き換え」が出来ない人、あるいは、「置き換え」ということを知らない人いることに驚く。
置き換え、あるいは、話の本質を例え話にする。
こういったことは、会話の基本的な一要素だ。
これがなければ、それぞれの体験や考え方が直接言葉として出てくるので、想像出来ることなら良いが、少し深いはなしになると相当こじれることになる。
また、何かの指示を出した時、相手の反応が飲み込めてないという事が分かったら、あるいは、会話をしていて、どうも自分の話を理解していないなと感じた時、即相手の分かる例え話が必要になる。
そういった作業を出来ない人が、指示を出す人であれば全体は中々進まないということになる。
話は飛ぶが「謎掛け」という遊びがある。
「〇〇とかけて、なんと解く」という遊びだ。もし知らなければ、検索してみると良い。
別にこれは置き換えではないが、そういった発想を元に置き換えに進化させる事が可能だ。
飲み会が大事だと、以前に書いたが、そういったある意味の無駄が、実は無駄ではなく、関係性や関係そのものを良好にする秘訣が詰まっていると同時に、実践訓練になるのだ。
本来、こういった有用な無駄は、自然と覚えたものだが、残念ながら現代では「個人の意見を尊重する」という事の間違った解釈から、自ら進んで関係を築く能力を閉ざしていく人が多いのだ。
自分個人としてはそれで良いかもしれないが、親になっているとしたら、その子供は関係を築くのが苦手な人間になる可能性が高くなるだろう。
赤ちゃんにとって、一番最初に見る大人は、間違いなく親だろうからだ。
親がどれだけ感情豊かに、あるいは、他人と関係を築くのが上手であれば、それを見て、それを感じ取って育つのだから、当然、人の基本になる情操は育つだろう。
またまた話は飛ぶが、先日TVで「奇跡のレッスン」を見ていた。
この番組は、子育てをする親、あるいは教師必見だ。
というより、大人達必見だ。
番組は外国から、その道のスペシャリストを呼び、子供たちの能力を1週間で引き出し、驚くような結果を出すのだ。
先日は、スキーだった。
スキーの苦手な子、スキーをした事がない小学2年生10人だったか8人だったかを教えるのだ。
まず、フランスから来たその先生は、教えない。
手本を見せるだけだ。
基本的なストックの構えや、スキー板の構えくらいを教えただけだ。
子供たちは面白いように転げる。
当たり前だ。
途中で「嫌だ」とリタイアしかけた子もいた。
しかし、1週間、子供たちは広いゲレンデを大回転よろしく滑り降りて来れるようになっていた。
それを親たちが見ていて「凄いね」と驚くのだが最悪だった。
最悪というのは、ゼロから初めて、あるいは、恐いというマイナスから始めた子供もいる。
その子達が、怖がらず堂々と滑り降りていたのだ。
それを見たら「ワオ〜」だろう。
その親達は「凄いね」とまるで他人事だった。
感情が豊かではないというのは、そういうことだ。
その子供たちの偉業を、どうして自分と共に感動しないのか。
どうして客観的に解説したり、説明したりですませるのか。
最悪というのは、そういうことだ。
どれだけ、教育が間違っているのかの証拠でもあるだろう。
子供たちの親全員がそれだ。
フランス人の先生は、絶対に教えない。
子供たちが転んでも、「自分の力で切り抜けなければ駄目なのです」と方法を教えない。
だから、子供たちが自ら学んで行き、自力で滑れるようになったのだ。
「見る」ということの大切さ、教えないという大切さを、見事に見せてくれたのだ。