視野を広げるにはモデルを探せ
視野が狭いというのは、一つの常識観、固定観念、そういったものに、ある意味で縛られているということだ。
だから、違う会社の持つ常識観をおかしいと思うのだ。
その自分の持つ常識観というのも疑わなければ、視野は広くならない。
上っ面の知識や情報として広げる事は出来ても、実際の自分の取る行動としては、自分の枠から出ることはない。
その枠から出るのを「一歩前に進める」と表現しているのだ。
上っ面と、実際にという事の違いは「なる程」という言葉に現れる。
もちろん、その「なる程」にもニュアンスがあり、即出る「なる程」は、上っ面だ。
自分を揺るがすなる程は、そう素早く言葉としては出てこない。
何しろ、自分を揺るがすほど深いことだからだ。
視野が広くなければどうにもならないのが「武道」だ。
「私は刀しか相手をしません」と刀だけを修行していたとしたら、槍の強い人、弓の強い人、鉄砲というように、そちらの社会とは相容れない事になる。
しかし、現在ならいざしらず、戦国の世であれば一切そのことに意味も価値も持たない。
当たり前だ。
映画であっても、武将が馬に乗り刀を振り回して戦っている時、農民が竹槍で突いて倒してしまうシーンも描かれている。
こちらとしては刀しか相手にしないと思っていても、敵は敵だから何でくるかは分からない。
だから、視野が必然的に広くなるのだ。
視野が広くなるというのは、その分こちらの準備や取り組み、戦そのものへの考え方が変わるということだ。
だから、昔は武芸十八般、あるいは、武芸百般と言われたのだ。
そこを考えると、当時の武芸者は視野が広かったという言い方が出来るだろう。
そういった話は、武道や武芸に興味のない人は分からないし、知らないだろう。
しかし、どんなことでも物事を考える時、また考えている時、必要になるのが、そのモデルだ。
自分の考えていることが、視野が狭い見方なのかどうなのか、それを考えるにもモデルがある方が楽だ。
モデルを見付ける、つまり、置き換えて考えてみるということが、視野を広げるための、視野を広げる実際的な作業なのだ。