触るの克服は2
「触れる」だが、大方の人は「人に触り慣れしていない」という基本的なマイナスがある。
2005年にForsytheカンパニーに行った時、Forsytheさんが「日野は触り方が上手いが、日本人ダンサーは触り慣れしていなから駄目だ」と言っていた。
どの世界でも浅いレベルも含めて「触れる」が、重要な役割を持っているのだ。
それこそスキンシップではないが、それに小さい頃から慣れていないから、根本的なところに遠慮がある。
だから、気持ち悪いくらいふわっと触れるか、乱暴にガチッと触れるかしかない。
多分、明治以前の日本人はそうではなかっただろうと思う。
だから、そこを埋めるために意図的に「触れる」を探求しなければならないのだ。
そこを抜かして上っ面の「触れる」は、一般日常ではさほど支障がないが、治療や武道、ダンスというところでは支障が出るのだ。
もちろん、それに気付いていない人が圧倒的多数なので、気づけと言う方が無理なのかもしれないが。
ダンサーにしても治療家にしても、未だ気持ちよく触ってくれた人はいない。
挨拶の握手でさえ気持ちが悪い。
そこに気持ちも意志もなく、ただ握手という動作があるだけだからだ。
だから、「触る」というのは、思っている以上、いや、それ以上に難しいと思っていなければ克服など出来ない。