深夜12時まで

昨日は、高校空手部の顧問が来た。
久しぶりなので話が弾み、気が付けば12時を回りかけていた。

今月初め、沖縄で高校生の空手大会に招待され、招待に恥じないようにと頑張り優勝した。
2年生女子だ。
何度も書いているように、高校に入ってから空手をやりだした高校生たちだ。
県立高校で、しかも2年足らずで招待されるまでに成長しているのは素晴らしい。
何よりも、熊野から沖縄へ旅行が出来た事が、彼女たちにとって嬉しい高校生活として残るだろう。
どんなことでも「どう取り組むのか」が、過程や結果を決定する。

この高校に昨年秋、授業のゲストに呼ばれた。
「武道」ということについて、実技と話をした。
その時の感想文を持って来てくれた。
彼等、彼女達に何かが残れば嬉しい。
グッとくる嬉しい言葉が並んでいた。
彼等彼女達にインパクトを与えるにはどうするか。
そんなことも顧問と話し合った。

もちろん、言葉も重要だが、それは本当の言葉、本気の言葉でないと通じない。
知識やどこかの正論など通じない。
思い込みの教育論も通じない。
紙一重で、高校生達には気付かれてしまうのだ。

そんなことは、自分自身の中学生、高校生時代を振り返ればすぐに分る筈だ。
「なんじゃ、このおっさん、独りごとを並べてるだけやんけ」「ただのサラリーマンか」等々、当時は、完全に教師を見切っていた筈だ。

と書いてはみたが、よく考えると、見切れるような中学生、高校生が教師になっていないのではないかと、今気づいた。
つまり、本気か、ただの仕事だと思っているのか、その違いが明確に感じ取れる人は、教師にはなっていないのだ。
だから、余計に学校がややこしくなるのだ。
本来、高校の教師になろうと決めるということは、こういった見切る高校生がいる、という前提を持った上で、本気で授業をしなければ、大人というのは最悪だという印象を与えるだけになるのだ。

空手部の顧問は本気だ。
だから、高校生たちが暗黙の裡に信頼しているのだ。
だから、空手部はたちまち強くなり、県で一番、インターハイに出場するまでになったのだ。

授業は、完全に即興だった。
皆を前にして、「よっしゃ、ほんならな」から始めた。
皆は最初から私のペースに巻き込まれて、目をキラキラさせて一生懸命に取り組んでくれた。

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