予期せぬ出来事?で、何?
何が起こるか分からないというのは、本当にそうなのか?と思う時がある。
自分が知らないだけなのではないかと思うのだ。
予期せぬことなどあるのか?ということだ。
そこに抜けているのは「自分」だ。
自分がそう思っている、そう考えただけではないかと思う。
今や、ネットで世界のニュースや、諸々の情報を見ていると知らない事だらけだと気付く。
しかし、知らない事だと気付いた出来事は、既に知った出来事に変わる。
予期せぬ事が起こるのが、自分にとってどうなのか?という事だけが大事であって、その出来事自体が重要なのではないのだ。
武道の場合、予期せぬこと、あるいは、自分はこうしようという事に熱中していると、横から誰かが攻撃してきたら、たちまち対処が出来ない。
ということを前提として稽古をする。
武道に残る形は、それも含んだものだと、私は考えている。
こう攻めてきたから、こう対処する、というどこまで行っても初歩的な駆け引きのものではない、というものだ。
もちろん、それは約束として稽古を積まなければ、そのものにはなっていかない。
この場合、横から、あるいは後ろから、それぞれ隠れていて攻めて来る、というのが予期せぬ出来事になる。
その状況を、離れた山の上から見ている人がいるとすると、その見ている人にとっては、予期せぬ状況ではない。
そこで、向かい合っている人にとってだけ、予期せぬ出来事になる。
そんなことも含めて考えてみるのが面白い。
昨日から作業をしている水源地の整備。
昨日はホースが抜けるというアクシデントがあった。
今日は、肝心のタンクが破損するという事が起こった。
そのどちらも、水が流れなければ分からなかった事だ。
そういう具合に、物事は複合的に関係しあっているのだ。
だから、予期せぬ出来事は起こって当然なのだ。
その時に、起こって当然だ、という考え方をしっかりもっておけば、対処することを考える余裕が生まれるのだ。
大阪での稽古会はほぼ定員になりました。
残り精々4人が限度なので、後4人で締め切ります。