通じない人には通じない

話がすれ違ってしまう人がいる。
どうしても通じない人がいる。
こればかりは仕方がない。
もちろん、人は違って当たり前だからだ。

と考えると、何時も書いているように、人は「見えているものが違う」のだ。
そして、私に見えているものが、通じない人には見えていないということだ。
もちろん、その逆もあるかもしれない。
あるかもしれない、というのは、通じないというレッテルの中身の話になる。

人生での葛藤の数や、葛藤の深さの違い。
あるいは、専門的な視点の有無。
また、その専門性のレベルの問題。
様々に要素が重なっているからだ。

ということで言えば、その時点では絶対に話は通じないということだ。
もちろん、通じる必要など何一つ感じないが、単に通じるのか通じないのかを考えるとそうなる、という話だ。
通じないのをどこで見分けるかというと目だ。
目を見れば分かるのだ。

先日から、睦念さんネタになっているが、睦念さんを信じるというか、通じるというか「あっ」と感じたのは、初めて握手した時の手だ。
仕事をしている手であり、そこには繊細な感性を持つ手だと直感したのだ。
その事を、今回睦念さんに話した。

睦念さんは、話を聞きながら私の目を覗き込んでいた。
もちろん、私もどこまで覗き込んでいるのか分からないが、覗き込みお互いが視線を離せない感じになっていた。
そしてニコッと笑って「そうなのか」と呟いた。
その「そうなのか」は、どのそうなのかなのかは分からないが、何れ分かるのだろう。

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