思っても、考えても意味がない

「明鏡塾」の「明鏡」は、明鏡止水から取ったものだ。
辞書には
「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。
「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。
また、勝海舟の言葉として、ただただ一切の思慮を捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。すなわちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ。
とある。

この状態が、武道で相手と対峙した時の最良の姿勢だ。
何故、最良かというと、相手の意識がこちらの意識に作用するからだ。
相手の意識がこちらに作用するのは、影響を受けるということだから、なってはいけない状態だと普通は考える。
しかし、そうではなく「こちらの意識に作用する→その作用が動きのキッカケになる」ということになる。
つまり、相手の攻撃を予測したり攻撃のタイミングを予想したり、という確率の悪い状態を持つのではなく、攻撃そのものの意志に対して、こちらの動きが起こるのだから、全てが完璧な状態になるということだ。

同時に、「水月移写」という言葉もあり、それはここでいう、意識の感応状態を指している。
これらは観念で行うものではない。
つまり、「思うことではない・考えることではない」のだ。
実現する、実体化して初めて意味や価値を持つものだ。

単純に、これらを言うと、こちらの思いや考えを相手に押し付けるな、当てはめるな、先入観を持つな、ということになる。
相手「そのもの」を、その場で感じ取れ、ということでもある。
私は「相手が教えてくれる」という言い方をする。
その意味で、治療家や医療従事者には必須レベルのものである。

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