最高の仲間と
70歳、誕生日、またやってきた。
昨日は、1日前倒しの誕生日パーティーを、みんなが開いてくれた。
しかしこのパーティは、全く予想していなかった。
パフォーマンスの稽古を見て欲しいと頼まれた。
「ええよ」ということで秋葉原付近のライブハウスへ向かった。
古いレコードジャケットが飾られてある、地下に降りる階段を降り小さな扉を開けた。
「誕生日おめでとうございます」と大声援。
「やられた!!」だった。
遠く、沖縄、熊本、長崎、岡山、大阪、名古屋他から、沢山の人が集まってくれていた。
ワーク・ショップの主催者達や明鏡塾の面々から、誕生祝のメッセージを貰った。
実際、それらを前にしてピンときていない自分がいた。
どうしてピンときていないのか。
私自身の歩いてきた道からは予想していない、予測していない状態だからだ。
これだけ沢山の人から祝福を受ける時を迎える等とは、予想していなかったのだ。
日常で、予想しない出来事が起こった時、それに対処するのはお手の物だ。
しかし、大きな時間の中で、つまり、自分の人生を積み上げていった覚えからいけば、「この70歳を迎えたい」と思ったことも希望したこともない。
それこそ、「結果、こうなっていただけ」のものだ。
その意味で、人生に思い入れは全くない。
改めて、私自身が心情として持っていることは正しかったと思った。
教室でも、ワーク・ショップでも、色々な人生の話をする。
そこの根幹は、絶対に自分で道を選べ、好きなことをしろ、好きになる能力を身に付けろだ。
教室やワーク・ショップ、そして「明鏡塾」を主宰するが、私が最も嫌いないこと、やりたくないことは「先生」だ。
リーダーであるかも知れないが、先生には絶対になりたくないと中学の頃から思っていた。
そこを実現させるには、常にみんなと対等でなければいけない。
というよりも、対等が好きなのだ。
だから、ここは地でいける。
ぞんざいな言葉使いや方言は、私そのものだ。
35年間、皆と稽古をしてきて、70歳の時を迎えた時、何と素晴らしい仲間が出来上がっているのかと驚いた。
それこそ有機的な繋がりを持つ人達が集まっていたのだ。
それぞれが、それぞれであり、なおかつ共通の一つの思いを持っている。
色々なグループがどこにでもあるが、私はこのバラバラのグループが日本で一番だと自負できる。
ここから、また新しい1ページを書き上げていく。
さて、どんな本が出来上がるのか。
それは私にも分からない。