人は「悟り」が好き

マルセイユに到着するまでの1時間ほど、完全に寝た。
おかげで、ホテルにチェックインしてからあまり眠れなかった。
もちろん、時差ボケもある。
しかし、決定的なのはファリドとの会話があったからだ。

ホテルに入る前にビールを飲もうと、地元のバーに入った。
そこでの会話で、ファリドが「こころが開いた」と言い出した。
そして、そのことについて伝統的な教授法はあるのか?と質問してきた。

ファリドとは、何時もこんな会話になる。
教えられることと、教えられないことがある。
厳密にいえば、どんなことでも教えることは出来ない。
それは、そこにある相互の関係の産物だからだ。

講演やワークショップで、「55分の関係だ」と話をする。
こちらが伝える、それを行動する。
これは55分だ。
伝える努力、行動していく努力、それらが上手くかみ合わさった時に、何かが起こる。
単純には、何かに気付くのだ。

いずれにしても、どうして人は「悟り」だの「無心」だの、ここでいう「心が開く」という『言葉』が好きなのだろう。
これは、きっと国内外を問わずなのではないだろうか。
それはきっと、それは魔法の力が宿っているものだという幻想を持っているのだろう。
もちろん、私にはそんなことは分からないし興味もない。
そんなことよりも、「今、自分がやっていること」に焦点を当てることの方が面白い。

そろそろ迎えが来る。
今日は午前9時スタート。
ダンサーの為のワークだ。
アムステルダムからエイミーも来ているから、余り退屈せずに出来るだろうと思う。
でも、何か新しいやり方も考えてみよう。

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