相変わらず
新しいアイディアは浮かばなかった。
本当は、ここ1日休みがあると良いのかもしれない。
その代わり、言われたことができない人を見ていて「どうして出来ないのか」をじっくり考えることができた。
単純には、今までも書いているように「何をしているのかが、全く見えない」のだ。
同じ出来ない人でも「何をしているのかが分かる人」もいる。
だから、そんな人にはアドバイスが出来る。
しかし、前者にはアドバイスどころか話しかけをする気にもならない。
それは、アドバイスを拒絶しているようにしか見えないからだ。
もちろん、当人は拒絶はしていないだろう。
しかし、そう見えてしまうのだ。
そして、同じ間違いを何度も繰り返すという特徴もある。
頭の中では「出来ていない」あるいは、「出来ない」ということはあるだろう。
しかし、その言葉があるだけで「じゃあ、どうすれば」には、なっていないのだ。
何をやっているのかが見える人は、その「じゃあ、どうすれば」か、言われたことをやろうと、身体に集中されているのだ。
「どうすれば」になっていない人は、身体を放ったらかしており、自分の「出来ない」という言葉に集中されているだけなのだ。
「どうすれば?」で、頭を使うから、「こうしてみよう」が生まれるか、「何が出来ていないから、出来ないのだろう」という疑問を持つ。
この疑問がない限り、出来るようになる筈もない。
にも拘わらず、そうはならない。
「こうするのは駄目だ」と指摘しても、すぐに間違ったことをする人も沢山いる。
それが理解できないのだ。