どうすれば、とならなければ前に進めない
「寝ている人を押すけど、寝ている人に違和感を与えてはいけないよ」と指示を出す。
「明鏡塾」の一コマだ。
同じ様に武道でも、「相手に違和感を持たさないように首を押さえつける」と指示を出す。
武道の場合は、相手の感じる違和感が、相手からの反撃のキッカケになったり、相手が変化するキッカケになる。
そういった指示を出した時、相手に違和感を与えないようにと「考える」あるいは「思う」。
だから永久に出来ないのだ。
それらは考える事、思う事ではなく、「実際にそうなること」だ。
考えるべきは、「どうすれば」であって、「相手に違和感を〜」ということではない。
実際にそうなるには、を考えるから、実際に、つまり、身体をどうすれば良いのか、あるいは、心持ちはどうなのか、また、何が違和感を引き起こすのか、という深さに向かって考える事が出来るのだ。
この中の「心持ちは」だったり、「何が〜引き起こすのか」を考えていく中で、自分自身の内的な癖や欲求が見えて来る。
そうすることで、次はその内的なところを「どうすれば」になり、またそこを深く考えなければならなくなり、そうすると、また「どうすれば」と来て、自分自身そのものと対峙したり、そこに気付くことで、全ての行動が成長していくことになるのだ。
ここの「どうすれば」の層構造を掘り当てて行くことが「考える」ということだ。
特に医療従事者は、ここのところを深く考えて欲しいのだ。
大阪1期明鏡塾は1月27日からです。
まだ、空きがありますので。
https://www.meikyojuku.com/