特養の研修で

約10年続いている特養の研修。
福祉ということで、現場のやる気というか情熱を削ぐ事が多々あると言う。
介護を受ける人の中には、介護の点数を偽る人も沢山いるそうだ。
歩けるのに、歩けないと申告する。
車椅子を自分で動かせるのに、動かせないと言う。
介護をする側の人は、少しでもそういった人達の助けになりたい、という気持ちを持ち福祉の世界に入っている。
もちろん、細かく言えば色々な動機があるだろうが、ざっくりと言えば「役に立ちたい」とその仕事を選んでいるのだ。
仕事とそれに見合う給料であれば良いのだが、誰が見てもこの業界や看護師達の給料は安すぎる。
もちろん、お金目当てでその仕事を選んでいるのではない。
そんな気持ちに水をさすのが、そういった性根の卑しい人達だ。
今回の研修では、改めてお年寄りと向き合う、という事をテーマにした。
もちろん、日々向き合っているから、「向き合っている」と信じて疑わない。
しかし、それは「日常」の流れの延長であって、真剣に、あるいは本気でではない。
つまり、本気以外にこころが通い合う事など無いのだ。
そこを徹底的に突っ込んでいたのが、100回で終えた「武禅」だ。
特養でのワークの難しいのは、誰も「本気か本気でないか」を見分けられないところだ。
私が相手になり体感してもらうが、残念ながら本気は体感は出来ない。
体感以前に判断を働かせ「ああ、こうか」等と解釈してしまうからだ。
本気に解釈も意味も無い。
もちろん、これは「明鏡塾」でのテーマも同様だ。
医療や福祉に関わる人の必須能力なのだ。
「明鏡塾」
https://www.meikyojuku.com/

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