表情のない言葉には虫酸が走る
「言葉」と言うついでに、外国でワーク・ショップを受ける人は、私のことを「sensei」あるいは「hino」と呼ぶ。
いわゆるタメ口が多い。
日本でも若い人にタメ口は多い。
もしかしたら、上から目線の若い人も多いかもしれない。
私は親ではないし、可愛げがないから一々言うのが面倒なので、何も言わないが、何かの時に地雷を踏むことになる。
しかし、面白いことに外国の人のタメ口は気にならないが、日本人のタメ口は癇に障る。
それはどうしてだろうか?と考えたことが有る。
外国の人のタメ口の中に、尊敬しているという気持ちから出ていることを感じ取ることが出来るのだ。
でも、日本人のタメ口からは、何も感じない。
何も感じないというのは、尊敬も見下しているも、友達だという感じも何もしないということだ。
PCや機械から流れる、無機質な言葉の感じがするだけだ。
だから言葉ではなく音だ。
当然、違和感がバリバリ働くし、癇に障るのだ。
尊敬して欲しいのではない。
何かしらの感情が伴った言葉を投げかけろという話だ。
もちろん、その無機質な言葉から「先生」と呼ばれても虫酸が走るだけだが。
そんな状態で有機的な関係などある筈もない。
「日野さん」と呼ばれてドキッとすることもある。
まるで「ヒノサン」だからだ。
無表情で何の抑揚も感じられない音なのだ。
「君は偉いんやな」というと「ええ、どうしてですか」と返してくる。
自分の言葉が相手にどう取られているのかを全く分かっていないのだ。
そして、他人にどう受け取られているのか、つまり、相手の反応から学んでいくということも知らないのだ。
どんな親から育ててもらったのだろうと感心する。