思わぬ発見が
昨日、世界で活躍する健造くんと飲んだ。
動きの話になった時、「そこの触感が大事やで」と言ってから、ふと「触感て英語でどういうの?」ときいた。
健造くんは「Tactile」だと教えてくれた。
ここにきて「感じる」と使っていた私の言葉が氷解した。
もちろん、「感じる」の中にある要素の一つだが、この言葉の方が外国の人には分かりやすいのではないかということだ。
というように、語彙を豊富に使っている人でなければ、こういった一歩踏み込んだ話に繋がっていかない。
もちろん、無駄に豊富な言葉を持っている人は、それで混乱する。
しかし、感覚的な創造をしていると、どう表現するのが良いのかを常に探している。
だから、言葉が増えていくのだ。
そして、増えた言葉は、自分自身の確信や成長に連れて整理され、また言葉が少なくなる。
そうなった場合、その言葉は一つで、相当深い意味を持っている。
そうなると、レベルが要求されるようになるのだ。
健造くんのパフォーマンスを評価した新聞記事の中に「けん玉を扱えば、けん玉仕様のからだになる」という一文があった。
健造くんと、これを書いた人は只者ではないやろ、と意見が一致した。
単なる物書きでは出てこない言葉だ。
ものの見事に、健造くんのからだや動きを表現していて、それが本質に届き、尚且つ誰にでも分かりやすい文章だからだ。
というように、言葉は重要なのだ。
自分自身の持つ感情や感動を、「凄い」と現すのは簡単だ。
しかし、そこにある「凄い」は何なのか?と問うてみる必要があるのだ。
「何が、どう」と考えることによって、自分自身の浅い深いが見えてくるからだ。