足し算で事足りるが

よく考えてみると、大方の人の思考は「足し算」だ。
もちろん、まずは足し算以外の方法はない。
天才の人はどうなのかは知らないが、殆どの人は足し算である。
「自分の上に知識や技術を足していく」それが足し算だ。

昔、義弟が人生は「足し算と引き算だけ」で行ける、と言っていた。
それだ。

しかし、そうなると肝心の「自分」はそのままだ。
私はこれが気に食わない。
現代で言えば、自分がAIや辞書を持ち歩いているのと同じだ。

足されたもの、例えば、私であれば武道の言葉「居着くは死」という言葉を考えたり、技術に転換していく。
言葉を考えるというのは、辞書的意味合いではなく、その言葉を生きるテーマとして持つということだ。
そうなると、人生のどんな局面でも、この「居着くは死」という視点を持ち考える事ができるからだ。
それを続けると、何時の間にか「居着くは死」という生き方になっており、自分自身が「そう」なっていることに気付く。

言葉はファッションのように飾り物ではない。
自分そのものだ。

例えば、武道で組稽古をする。
その時に、私の言う武道というからだになっているから、相手は私の気配を感じる事が出来なくて、あっさり倒れたりするのだ。

足し算の場合、まずこうにはならない。
ただ、師弟関係、あるいは、道場、教室という場での関係性がある。
その関係性が、あたかも出来ている、という現象を現す事があるのだ。
私は常にここを注視していて、そうならない事をこころがけている。
でないと、何時までたっても「井の中の蛙」だからだ。
常に、自分が起こす現象を疑っているということだ。

Follow me!