精神を病んでいたかもしれない時期
武道家が医療と関係する、とした時、大方の人は目に見えるところで「日野は、整体や鍼灸をやっていたのかな?」となる。
あるいは、武道では「活殺自在」とか「活人剣」という言葉が残っているから、関係しても不思議ではないと漠然と思うだろう。
もちろん、そういったことではない。
35年前大阪で道場を開いた。
道場は私の実験場のようなものだった。
朝10時位から、夜11時頃まで稽古を重ねた。
もちろん、家に帰っても考え続けているから眠れない。
私にとっては最上の時間を過ごしていた。
1日中武道だったからだ。
それは「武道とは、実際として何なのか」を突き詰める為だ。
根本的には、「私はどこへ向かっているのか?」が見えていなかったからでも有る。
私がやっていること「これではない」ということは分かっていても、「じゃあ、どれだ」が見えていなかったのだ。
そこで、宮本武蔵の五輪書に書かれていること。
武道史に残る言葉。
それらと実際をくっつけようと、毎日考えていた時間だ。
そういった意識と身体のフル回転が、ある種の症状を身体が作り出した。
40℃を越す高熱が続いてしまったのだ。
しかし、稽古は止めなかった。
止められなかったのだ。精神を病んでいたのかもしれない。
当時の弟子たちに肩を借り、家から道場を行き来した。
その状態の時に、色々と閃いた。
それを稽古し、繰り返す中でまた閃き、と目まぐるしく変化していった。
その時に「触れる」という事、「意識」という事に着目せざるを得なくなったのだ。
つまり、「関係」そのものの「芽」に気付いたのだ。
自分の中から湧き上がって来たといった方が合っているだろう。
もちろん、無意識的だから何も理解はしていない。
そんな状態が「関係」という事を体感する入口になっているのだ。