若い人の成長

「明鏡塾」を受講している若い理学療法士の感想で、「これや!」という文書が沢山送られてくる。
それらを読み、本当にこの講座を開いて良かったと思っている。
70歳を前にして、ようやく意思が伝わって来た、という感じだ。
しかも、私の孫に近い年齢、あるいは、子供に近い年齢の人達にだ。
これほど嬉しいことは無い。
 
今回、送られて来たものから、一つ紹介する。
「つい最近の話、回復期の担当が不在の日に久しぶりに介入する機会があった。
その中で、こんな一幕があった。
私が立位訓練を行おうと平行棒に連れていった時、その女性が必死に『おきる』と私に伝える。
私は車椅子から身体を起こす事なのかと判断し、車椅子から背中を起こした。
しかし、女性の『おきる』という訴えは止まらず、私は何を伝えられているのかが、分からないままであった。
その後も、女性の『おきる』を聞く。
しかし、一向に分からない。
そのうち、女性は癇癪を起こす。
言語化された訴えの裏にある、本当に求めている事。
私はこの時、女性の訴えを『聴く』事を疎かにしすぎていた。
普段、明鏡塾で訓練している、『目で聴く』。言葉を聞くのではなく、目の前の人との間合い、雰囲気、目に映る色や強さから心の情景を察する事なのだろうか。
『聞く』と、『聴く』では意味合いも中身も全く異なるものになる事を、その瞬間に実感する。
その後、その女性の目を『聴いてみる』。
すると、伝えたかった事が『平行棒に掴まってこれから立つ』という事だというのが伝わってきた。
私は、この体験を猛省している。
自分の見たいように、考えたいようにしかせず、目の前で起きている現象や訴えを疎かにする事の恐ろしさ。
言葉や身体を用いたコミュニケーションの手段を無くしても、気持ちはそのまま形を変えない」
 
素晴らしい体験だ。
この「必死で」という体験を20歳代で持てたことは、彼の人生最高の宝物だ。
 
これが生きているということであり、関係ということ、そして話す、聴く、感じる、触れるということである。
「明鏡塾」の受講生は、どんどん成長する。
人は成長するものなのだ。
どこにその切っ掛けがあるのかは分からない。
しかし、絶対だと言えることは一つだけある。
 
それは彼のように「必死になること」これだ。
 

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