時間の長さは密度が変える
南紀白浜空港から飛行機に乗った。
斜め前に座った男性、もしかしたら見覚えがあるのかもしれない。
何となく…。
言う間に私は寝てしまった。
羽田に着きドアが開き出ようとした時、その男性が私をジッと見た。
「あっ」お互いに同時に出た。
その男性は、新宮・熊野道場で合気道を教える多田先生だった。
「やっぱり日野先生だったのですね、お声をかければ良かった」
もう何十年になるだろうか。
最期にお会いしてから、少なくとも20年は経っているだろう。
お亡くなりになった、合気道の砥嶋先生からの紹介だった。
1.2度私の道場で稽古をした。
今からアメリカに指導に行くところだそうだ。
アメリカには、もう15年ほど指導に行かれているという。
色々と積もる話もあったが、多田先生は国際便へ乗り継ぎがあるのでお別れした。
こんなスレ違いも楽しいものだ。
時間にして5分足らずの再会だった。
ある角度から言えば、その5分足らずを5分で充分だったに出来るかどうかだ。
そこに20年分の密度と現在とを詰め込めれば、その5分は文字通りの5分ではない。
だから、5分で完全に切り替えられるのだ。
どんな言葉を出すか、何を聞き出すか。
自分はどの立場なのか、であればどんな姿勢を取らなければいけないのか。
それを瞬時に判断し行動をする。
一発勝負だ。
そこを間違うと、只の想い出再会にしかならない。
そして、次はオッサン同士の只の飲み会にしかならない。
私は、こういった状況が大好きだ。
ある言い方をすれば、ここに命をかけているとでも言える。
一瞬で人は見破る、そこで見破って見ろ、となるのが好きなのだ。
武道だ。
10年前、沖縄の生んだ天才版画家、名嘉睦稔さんと初めてお会いして、深夜まで泡盛を飲み交わした。
その時、睦稔さんが「日野さんは7時間前と全然変わらないね、さすがだわ」
「当たり前やん、俺はこのままだから」と大笑いした事がある。
見破られない秘訣は「そのまま」なのだ。