世間に教材は転がっている
ネットというのは、本当に勉強になる。
「人は違う」ということを確かに見せてくれるからだ。
特に何かを否定するような文章は、人間の質を知る良い教材だ。
俗にいう「品が良い」とか「品が悪い」という人格に関わること。
これに関しては、私は「品が悪い」と、それこそ自他共に認めている。
自分では時々何とかしようと思うのだが、そう思いつつ70前になってしまったから、「ま、ええか」で放ったらかしになっている。
あるいは、各人の度量の狭さ、薄っぺらな世界観、偏った思考、妬み、やっかみ等々、その全部が、そのページから見えてくる。
もっと、よく見えるのはズバリ「顔」だ。
私も含めて誰でもそうなのだが、自分では良いと思っているから、恥ずかしげもなく顔写真を載せている。
それが一番の教材だ。
その一枚の写真から、どこまで読み解けるか。
これは「目利き」と呼ばれるものと同じ能力だろうと思う。
また、医療での「診る」とも重なる。
ネットの良いところは、顔だけではなく、そこに文章もある事だ。
2つの材料があれば、ある程度のレベルや方向性が見えるものだ。
ここで紹介したかもしれないが、「明鏡塾」を受講してくれているキャリアのある整体師の方がいる。
その男性は、師から「一瞬で診たてろ」と指導されたそうだ。
それから、来院する患者さんを、5年間観察し続けたそうだ。
その頃になると、師から褒められる診立てが出来るようになったという。
つまり、その整体師は病気に対しての「目利き」という技術を手に入れたのだ。
「見る人が見れば」という言葉があるように、その整体師の方は「見る人」なのだ。
「恥ずかしげもなく」というのは、こういった目利きの人にはバレている、という意味を持つ。
しかし、目利きで無くても、これは直感的に分かる事だ。
「この人、気持ち悪い」というあれだ。
特に女性からすれば、「気持ち悪い」は、見えて当たり前のように見えている。
昔、ある有名な武道家の写真を、女性の生徒に見せたら「気持ち悪くて鳥肌がたった」とドン引きした事があった。
もちろん、感受性の強い男性も同じ反応をした。
男性の方は、トイレに駆け込み嘔吐したのには、全員笑い転げた事があった。
この「気持ち悪い」という反応を「何がだろう?」と、興味を持って欲しいのだ。
そうすると、その反応は、反応で終わらずに、自分自身の人を視る技術として定着するからだ。