方法を求める負の連鎖

方法を求める人は「方法を求め続ける負の連鎖にハマっている」という事に先日気付いた。
これは、「気づく」と「腑に落ちる」の違いの「腑に落ちる」側で物事を受け取っている人が多い。
もちろん、「気づく」と、言葉としては使ってはいても、実際的な内容は「腑に落ちる」の人が多い。
ここの違いは、どちらにしても行動として直ぐに実際化出来るかどうかだ。
もう一つ違う角度から言えば、自分の考えていること全体、あるいは、その物事全体を即座に理解した、というのが気付いたである。
「腑に落ちる」というのは、一つの問題に対しての解答として、自分自身の判断を介して理解した、ということだ。
そして何よりも、問題自身を、自分自身の生き方や姿勢と直結させているのか否かだ。
もちろん、気づくのは直結させており、腑に落ちるは切り離されているということだ。
冒頭の方法の話だが、ここは分水嶺だ。
右に行くか左に行くかの分かれ道なのだ。
武道で言えば、一つの技がある。
その技を一つの方法と受け取っているのか、技の本質が含まれていると捉えているのかだ。
一つの方法と受け取った場合、次の方法、次の方法とならざるを得ない。
しかし、技の本質が含まれている、と捉えれば、その一つの技から要素に気付き、更には思想まで考える事が出来る。
だから、方法を求める負の連鎖は生まれないのだ。
これも腑に落ちると気づくの違いである。
という具合に、どんな物事でも、どちらで捉えるのかで歩いて行く道が変わるのだ。

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