人の価値を知ろうとすると

人の価値を分かろうとしない人が多すぎる。
例えば、私はワーク・ショップや教室を開いている。
そこには、多種多様な人が訪れる。
基本的に、私は言葉が悪いし汚い。
悪い意味での関西広域弁だ。
しかし、だからといって人を馬鹿にしているのではない。
その人を見ていると、そして話を聞いていると、その人が滲み出ている。
そこには、私が味わえない時間が一杯詰まっていることが分かる。
そこに視点を合わせると、その人の価値が見えてくる。
良い大学、良い会社、社会的地位、ということではない。
それは殆ど意味が無い。
「その人個人」だ。
ダンサーを相手にワーク・ショップをし、ボロクソに言う時がある。
しかし、踏み込んではいけないラインがある。
その先がその人の価値の部分だ。
どうもそういった機微の分からない人が多すぎる。
その場のその事だけにしか目がいかない人だ。
その場が作り上げられるのは、その人の歴史があるからだ。
先日のワーク・ショップには、純さんという、日本に即興演劇を持ち込んだ方が受講してくれていた。
純さんの歴史があるから、私とのやりとりが円滑に流れたのだ。
どこからどこまでは話題にしたり、落とし込んだりしても良いのか。
そんな事を、それこそ即興で、その場で感じ取っているからだ。
それの見えない人は、単に愉快な話を聞いた、
で終わるのだろう。
特に若い人は、そういった想像力が全く育っていないから、くだらない話は、くだらない話としてしか分からないのだろう。
そのくだらない話の中に、何が盛り込まれていたのかを抽出する力も、必然も理解できないのだろう。
もちろん、これは特養や医療の現場でも重要な要素の一つだ。
「明鏡塾」では、こういった点も各講座の中で展開している。
「明鏡塾」体験セミナーは7月16日(日)です。
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