69歳の手習い2
言いたい、伝えたい思いが溢れている時は、確かに「相手」という存在が無い。
もちろん、大きな意味では「相手」はある。
だから、思いをぶつけるのだが。
しかし、冷静な時はその相手との会話の中で、相手の使う言葉や組み立てをしっかりと吟味する。
そこがぶっ飛んでしまうのだ。
その意味で、「書く」という作業がどれほど難しいかを、改めて知ったことになる。
浅田次郎のエッセイが好きでよく読むが、そういった小説家の人達は、どんな作業を行っているのかに興味が湧く。
俗に、「誰をターゲットにしているのか」と言うが、それにしても、ターゲットに対して一方通行になる。
そうなると、そういった考え方ではない何かがあるのだろうと想像するしかない。
これからは、そこを自習することにした。
そうか、これは型の一人稽古に似ているかもしれない。
その発想も面白い。
私の出来ることはそれだ。
出来ないこと、新しいことを人は求めがちになるが、それでは、時間がかかり過ぎる。
今、自分の出来る事の中に、導入するのが一番だ。
私の飽きっぽさからも、そういった事が似合っている。