触れる

スーパーの中にある喫茶店で話す。
「あの時、アキラは何を考えていたんや」
そうバンド時代の話だ。
40年以上前の出来事だ。
ニコッと口元がほころぶ。
少し背中を触ると見事に鎧のようにカチカチだ。
「毎日何をしているんや」
「何もしてないよ、殆ど部屋の中で立っているで」
「そうか…寝転ばないのか?」
「寝転んだら起きれない気がするんや」
「そうか…」
何を話すでもなく、30分1時間2時間、彼と向き合っている。
「どうしたらええんやろ」頭の中ではその言葉がグルグル回っているだけだ。
「死ぬなよ」とはいうけれど、では生きていてどうするのか?
その答えは持っていない。
1Kの部屋は息が詰まる。
この部屋にいるだけで、気分が滅入るのは想像出来る。
連絡を取ってこない子供たち、姉弟達は余程彼を恨んでいるのか、憎んでいるのか。
それは水に流せ無いのか?
この状況を知らせて上げたいが、何も知らないからどうすることも出来ない。
ここに一人の人生は終わった。のか?
いや、もしかしたら彼にとっては、もっと以前に終わらせていたのかもしれない。
60代になり再就職し、そこで仕事を認められて、正社員になった。
それくらい、努力を惜しまない彼だった。
僅かな給料でもコツコツと貯金をする彼だった。
今となっては、躁鬱という病気を恨むしか無い。
帰る時、駅まで見送ってくれ、最後に「アキラ、ありがとうな」と、力一杯手を握ってくる。
まるで明日は無いような力だ。
その力には彼の全てが詰まっていた。
彼のこころの全ては、その力に凝縮されているのを痛いほど感じた。
そうするしかなかった、そうする他に手段は無かった。
だからこそ、そのこころはこちらに届いて来たのだ。
こころとは何かは知らないし、知る気もない。
しかし、確かに有るものだ。
それを受信できるから、あるいは、それに共鳴するから、また発信出来るからこそ人間なのだろう。
彼には大きな宿題を貰ったようだ。
「触れる」とはこういうことだ。
「触れる」は、ワーク・ショップでも教室でも、最も重要な人の行為として捉えている。
もちろん、行為は行為としてあるのではなく、また、運動として分析するものではなく、人そのものの現れである。
その「触れる」に焦点を合わせたワーク・ショップは、5月6月にあります。
ゴールデンウイークなので、まだまだ空きがあります。
足を運んで下さい!!!
大阪ワーク・ショップは5月5.6.7.8日、東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/

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