戦友の死
朝早く電話で起こされた。
着信を見ると友人からだった。
ウツの症状が出ており、外出する気にもならない状態だ。
フランスででも心配していたのだが、かけ直してみた。
電話に出た声は若い男性だった。
「えっ」と思った矢先「◯警察の者ですが」と名乗られた。
「何で?」
「実は◯さんが自宅で亡くなっておられて〜」
ニュースでよくある孤独死ということだった。
彼には子供が3人いたが、その誰からも連絡が無かった。
というのは、ウツの症状が出ており、仕事もままならないので生活保護を受けていた。
それは私が勧めたものだ。
生活保護を申請すると、行政が身内を探し出し生活を援助するか否かを確認する。
つまり、行方を知らない身内に自分の居場所を知らせる事が出来るということだ。
もちろん、その身内が「知りません」といえばそれまでだが。
私は連絡が来ることを、期待して待つように促していた。
彼は待てなかったのだろう。
家を尋ねて行く度に「アキラ、悪いな」と言っていた。
「生きていたらなんとかなるよ」
そんな話をしていたのだが、内心は本当に何とかなるのかな?
何がなんとかなるのだろう?とも思っていた。
病気でなければ、それこそ何とかなる。
「大阪で住んだらどうや」と提案したこともある。
それは、大阪に実家があったからだ。
見知った街に住めば、気分も変わるのではないかと思ったからだ。
しかし「行っても同じやろ」と彼は拒否した。
彼に会う度に「何を何とかすれば良いのか」を考えさせられた。
病気の事は生活保護申請時にも、行政に話して見た。
しかし、一見普通に見える彼に、誰も本腰を入れて考えてはくれなかった。
また、大阪には私が研修を続けている特養もあり、そこの常務にも相談していた。
有り難いことに常務からは「何かあったら何とかしますよ」と言ってくれていた。
これは彼だけの問題ではない。
こういった彼のような立場の人は沢山いるのだろうと思う。
いわゆる隙間で生きている人達だ。
それを行政は、仕方がないと放っておくしか無いのだろうか?
私たちは団塊の世代だから、一番人口が多い。
それに比例して、こういったケースも多いのだろうと思う。
個人が関われるには限度がある。
そんな時、比べる事は出来ないが、スイスや北欧の国々の社会福祉制度をうらやましく思ってしまう。
彼とは22歳からの付き合いだ。
というよりも、共に戦った戦友だ。
フリージャズの世界に身を置き、何かに取り憑かれたように音を模索した戦友だ。
彼は私よりも一つ年下で、当時はフェンダーのエレベを弾いていた。
自分の身長よりも高いアンプを背に、強烈な音を出していた。
「アキラ、一緒に演ってくれへんか」と彼が言ったのがキッカケだ。
エレベでは話にならないので、クラシックのコントラバス奏者を紹介し、ウッドベースを習得させた。
アパートの直ぐ裏にある大和川で、朝から晩まで毎日最低8時間は練習していた。
4.5年たちウッドベースを何となく弾けるようになり、一度一緒に音を出した。
「まだ、あかんな」彼は直感しひたすら練習に明け暮れた。
彼はそんな性分だった。