時間という感覚

全く知らない街ボルドー。
宿泊先から車を飛ばして40分くらいかな。
運転してくれている人の地元だ。
「石の橋だよ」等色々教えてくれる。
この「40分くらいかな」という時間感覚が、何時もの事ながら面白い。
今回も、同じ40分でも行きは「まだかな」と思いながらだったので、長く感じた。
帰りは、風景を知っているから、次はこんな風景と無意識のうちに予測している。
「あれぇ、こんな近かったかな」という位の違いを感じる。
気分や感覚と同期しているこの感覚と、いわゆる時計時間は全く違う。
正確か不正確かということではなく、全く別のモノだ。その意味で、科学の中では「時間はない」という論文まであるそうだ。
ジャズをやっている時、この時間というものに挑戦していた。
時間を膨張させたり、短縮させたり。
あるいは、全く感覚出来ないようにしてしまったりだ。
基本的に、時間から自由になりたかったからだ。
その為に、逆に徹底的に時間的精度を身に付ける訓練をした。
いわゆる体内時計を、標準時計に合わせてしまうという訓練だ。
現代音楽では、時計を置いて指揮をするというのがあったが、それではミュージシャンとして面白くないやろ、という動機だ。
こんな突拍子もない事だけに、全精力を傾けるのが私の性分だ。
だから、人生退屈をしたことが無いし、充実しているのだ。

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