一寸話が飛んでしまった

例えばプリンを箸で掴むのは難しいし、絹こし豆腐も掴みにくい。
それは、そのものよりも強い力をかけてしまうからだ。
そのものに相応しい力で掴めば掴むことは出来る。
柔らかいものを扱うには、それ相応の技術が必要だということだ。
身体を柔らかく使うのは難しい。
腕だけ、足だけ、指だけ、という身体の一部分を柔らかく使うのは簡単だが、全身を柔らかく使うのは難しい。
どう難しいのかというと、全身を均等に柔らかく使う為には、全身を感じ取っていなければならないからである。
今、フランスで行っている武道のワークショップだが、ここではこういった事を話しながら進めている。
というのは、「柔らかい」と「緩んでいる」とは、似て非なるもので、大方の人は柔らかいではなく、緩んでいるからだ。
緩んでいる事がどうして悪いのかというと、身体が寸断されているということになるからだ。
寸断されていると、相手の力や方向を感知することが出来ないし、咄嗟の出来事に反応できないし対処できないからだ。
これはダンサーにも当てはまる身体の状態だ。
「柔らかい」とは、「緩んでいる」とは、ということを真剣に考えた事がないのだろう。
自分が使っている言葉を改めて考えない、という事を私は理解できない。
会話の中で「それって、どういうこと?」と私はよく聞き返す。
使っている言葉を、理解して話しているようには聞こえないからだ。
何を話しているのかを分からないまま、他人に話しているというのは、どういうことなのだろう?

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