全ては自分で考えだせ

道場だと認識しているから道場になる、というのは、47.8年前に考えついた事だ。
当時も、今と変わらず進学ブームだった。
ブームというのは、その個人が決定している場合は別だが、つまり、相当の目的を持っていれば良いのだが、「時流だから、あるいは親が言うから、また、友達が行くから」ということで、有名高校なり有名大学に進む人が沢山いたから、ブーム以外の何物でもないと感じたのだ。
その時ふと頭を過ったのは「良い学校というものが有るのか?」ということだ。
当たり前だが、良い学校などある筈もない。
自分がその学校に行くにふさわしいのかどうかが、前提として有るものだと思ったからだ。
そういった人達が集まるから「良い学校」となるのだ、と考えたのだ。
これは数年前、それこそ、ある有名大学の非常勤講師を頼まれた時、そこの学生たちに話したことを今思い出した。
自覚を促すために話したのだ。
同じ様に、良い会社も入社する人のレベルが作り出すものだと考えたのだ。
だから、社員研修でも同じ様に突っ込んだことがあった。
もちろん、それは現実離れしているのかもしれないが、私はそう考えるのだ。
どこまでいっても個人が、どうなのかだ。
道場の場合は、認識しているだけでは始まらない。
そう生きているのかいないのかに関わるからだ。
「そう生きている」というのは、「道」をどう捉えているのかという前提としての問題がある。
何も善行を積めということではない。
自分の「道」を考えているのか、そこを歩いているのか、歩いていて何かしらのヒントが必要だとした時に、何もないテナントスペースが道場という場に変わるのだ。
まるで、カラオケを楽しみに来ているような人が集まるスペースを道場とは呼べない。
私自身は、それらは全て形式ではなく、中身だと考えている。
だから、極力形式を排除している。
それを分からないレベルの人が多い。
もちろん、それを現代風に説明すれば良いだけだ。
しかし、それは説明されて理解することではない。
自分自身が自分自身の頭で考えてこそ、そして分かってこそのものだからだ。
私はそう考えている。

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