道場は無い
東京の「武道」の稽古は昨日終わった。
私としては、昨日も書いていたように、別段「何が?」という感じだ。
教室には、由緒ある流派の古武道を、長年に渡って取り組んでいる人も来ている。
その道場では、その時節で儀式がきちんとある。
だから、メリハリが付いて、それなりに楽しい筈だと羨ましく思う。
私はあくまでも「武道研究所」だ。
とは言うものの、学的研究ではなく、実践的研究所だから、道場とはさほど変わらない中身を持つ。
形式として道場ではないだけで、実際は実践的に道場である。
この何ともややこしい形式が良いのだ。
どう良いのかというと、「道場だと決めるのは個人だ」という一つの決断を求めているからだ。
いくら、由緒ある道場であり流派だとしても、その中身の道場生が「道場だと自己認識」していなければ、それは道場ではないと、私はしているからだ。
つまり、その場に行けば「道場」であり、その流派の習い事をしているから「武道」をしていると思うのを、完全否定しているのだ。
それぞれがそれぞれで、自覚すること。
義務教育ではないのだから当たり前だ。
先日、元フォーサイスカンパニーにいたダンサー、アマンシオと再会したと書いた。
会話の中でアマンシオが「みんな不思議だね、即興は即興なのに、どうして即興を習うの?」と言い、顔を見合わせて大爆笑をした。
それと同じだ。