武道の稽古

武道には「運足」とか「足の使い」という言葉がある。
宮本武蔵も五輪書の中で「足使いのこと」として、書いている。
私はこの五輪書を手がかりにして考えていった。
中でも「すたすたと歩むが如し」という言葉にピンときて、そこを追求した。
とは言うものの、例えば四股足立ちや騎馬立ち他、多種多様な立ち方が、空手や様々な武道にはある。
これとの兼ね合いに苦労をした。
そこを統括して「身体が動き出すとは」というところに着目した。
おかげで、立ち方から動く、そしてすたすたと歩くが完成した。
もちろん、それは五輪書が言うところのものではないかもしれない。
しかし、伝承とはそういったものだ。
つまり、どれだけ本質を損なわずに、その時代に適応させていくかということなのだ。
そこの底辺にあるのは、「変化に対応する」があるからだ。
変化に対応するというのは、生命の本質でもある。
つまり、我々人類という種が現存するのは、地球の環境変化に対応できて来たからであって、もし変化に対応できていなければ、既に絶滅していただろうという考え方から来たものだ。
そして、そこを統括すれば、変化と対応という「関係」だ。
その意味で、私の言う「関係」というのは、それほど底が浅いところから考えているのではないということだ。
先日の大阪教室の稽古では、この運足を少しした。
一つの運足であっても、すたすたになる要素が入っていなければならない。
だから稽古は厳密になる。
その厳密性を理解できなければ、つまり、五輪書からの変遷を理解できなければ、稽古にはならないのだ。
だから、武道の稽古は難しいのだ。

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