出来ない自分探し

お互いに向かい合って、大声でジャンケンをする。
二人だけなら、お互いの声は聞こえるが、それが40人以上の人達が同時にすると、まず聞こえない。
「目で聞け」と私は言う。
何人かの人は決まって「えっ、どういう風に?」とか「◯○と同じ感じですか」というような質問をする。
人はどうして、言われたことをそのままで工夫をしないのだろう。
どうして、自分の知っていることに絡めようとするのだろう。
そうすることで、私の言う「目で聞く」の次には進めなくなるのだが。
そういった人達は、新しいこと、自分の枠外の事に挑戦していく、あるいは、工夫をするという、自分自身に足しして努力をすることを余程嫌いなのだろう。
何がしかの成長や、自分以外の新しい考え方を知る為にワークショップに来ている筈なのに、実際はワークショップには参加していないということになるのだ。
知らないことをそのままするのは難しい。
知らないこと、つまり、自分の枠外のことだからだ。
そこに挑戦するから、自分の枠が広がったり、枠を破ったりという結果が現れるのだ。
その意味で、私は新しいことに挑戦するのが好きだ。
その時にだけ、自分の知らない自分、自分の気付いていない自分が顔を見せるからだ。
そんな面がまだ残っていたのか、と気付けるからだ。
もし、それが嫌なら修正すれば良いし、それで良いならそのままで良い。
知らないこと、新しいことというのは、そういった面を持っており、非常に貴重な時間なのだ。
もちろん、そこで思わぬ恥をかくこともあるだろう。
それがまた、自分自身を広くすることや、強くすることになるのだ。
私の場合は「恥をかいたった!」と大笑いする。
それが「出来ない自分探し」の楽しさだ。
「目で聞く」やり続けなければ意味は見えてこない。

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