精神文化ということは

トークライブの冒頭で、「武道は日本が世界に誇る、身体文化であり精神文化でもある」と話したが、その詳しい話はしなかった。
時間が限られているので、次に進んでしまったからだ。
それが昨日の「道」ということだ。
もちろん、「道だからこうしなければならない」のではない。
それは「習っている人・学んでいる人」の台詞だ。
頭の納得だ。
そう生きる人(自覚化されている人)には、その言葉は無い。
「そうしているだけ」だからだ。
身体操作は、自分の持つ目的により決まる。
そして、自分のクセによっても限定される。
そこが一番大きなところだ。
限界性を持つからだ。
もちろん、それが悪いとか間違っているという話ではない。
目的そのものが、そういった身体的クセを容認出来るものであれば、何の問題もないからだ。
武道の場合は、その入口からクセを否定している。
だから、そこを突破するという難儀があるのだ。
どうしてかというと、ステレオタイプの答えとしては、「クセを見抜かれたら、そこに死があるから」である。
もちろん、この「そこに死があるから」ということをどう現実と出来るか、というもう一つの壁もある。
簡単にいうと、そういった諸条件が作り出す身体操作が、武道であると同時に、武道に仕上げていくのだ。
という特殊性が、世界に誇る精神文化ということだ。
東京ワークショップ 11月21日‐24日
http://hinobudo.wixsite.com/workshop

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