同じことを続けることが、違うことを生む

講演会まで後3日!
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時

http://2016hino.jimdo.com/
教室やワークショップで見せる動きの殆どは、その場での即興だ。
その意味で、見せることを練習したことはない。
例えば、もう十年も前になるだろうか。
テレビの取材で、ミットを持つ人は動かなくて、その後ろに立つ人が動くという演武を見せた。
それは、その数年前の私のビデオで、興味本位でやって見たら出来たものだ。
その後、それを練習したのかというと、やったことを忘れていて練習などしていない。
だから、演武として見せるものとか、応用的にやることの練習は何一つ練習をしていないのだ。
これは、即興演奏を目的としてジャズをやってきたからだろうと思う。
もう少し探っていけば、同じことをするのが嫌いという性分があるからだとも思う。
しかし、「同じことをするのが嫌い」ということと「同じことを徹底的に追求する」ということは同居している。
ただ、これらは次元が異なるだけだ。
「同じことを追求する」から、そこからの応用としての「同じことをするのが嫌い」を実現させているのだ。
武道に「守破離」という言葉が残っているが、その言葉通りの事をやっているだけだ。
「守」というのは基本だと私は捉えている。
そこを徹底的に、つまり、何十年も追求しているから、同時に「破」も「離」も実現するようになっているということだ。
大方の人は、これらを時間軸で捉えて、つまり、並列な時の流れと捉え、守の時期、破の時期、そして最後に離の時期としている。
もちろん、そうなのかも知れないが、常にこの守破離を往復させなければ、離にはならないのだ。
これは、一つの事がどう成長していくのか、どう進化していくのかを、知らなければそうはならない、という考え方である。
今自分のやっていることは、将来どうなるのか、それを知らなければ、将来への過程としての灯台が無いのと同じだからだ。
東京ワークショップ 11月21日‐24日
http://hinobudo.wixsite.com/workshop

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