何が自分を未来に向かわせるのか

私には夢は無い、と話す。
夢も希望もない、とも言う。
しかし、もしかしたら他の人にとっての夢かもしれないのだが、私にとっては現実の延長線上にあるから夢ではないのだ。
その意味では、他人から見れば、私は何の面白みもない人間でもある。
もちろん、そんなことは私にとってはどうだっていいことだ。
現実の延長線上だというのは、現在の立ち位置で物事をみるからだ。
33年前、熊野で道場を建てる、と当時の友人達に話した。
誰一人としてそれを信じなかった。
ピアニストの友人も、今は亡きその友人の母親も「また、ほら話をしている」と思っていた。
つまり、「また、ほら話」というように、それまでも私の口から出る言葉は、その人達にとっては「楽しいほら話」だったのだ。
というように、他人が私を理解したり、現実に起こしていることの価値を分からないということだ。
もちろん、それが間違っているのではなく、それが「他人」ということで、私以外の人ということだ。
だから、分かってもらおう等と思ったことは無い。
同時に、他人は理解できないと認識している。
「よし、道場を建てよう」と思いたってから、8割方完成するまでに、つまり、そこに住めるようになるまでに10年かかったのだ。
しかし、「肘」を正確に動かせば、そして、そこに力みが無ければ相当な力を発揮する、ということを発見するには、そして実現できるようになるのに、20年は掛かっている。
この二つは決定的な違いがある。
道場建設は「よし、道場を建てよう」と未来を決断した。
しかし、「肘」のコントロールは、「こうすれば、どうなるのか」という好奇心が働き続けた結果だ。
もちろん、そのことを掘り下げれば、もっと異なった動機が見つかるかもしれないが、今はその余裕が無い。
と書きつつ、一枚の写真を思い出した。
それは、昔日の糸東流宗家摩文仁賢和師の姿だ。
その美しさに興味を惹かれたのは、強力な動機の一つだった。
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