夢と現実は紙一重
「出来たい」あるいは「出来る」を、無意識的にでも目的として持つ人は、必ずと言っていいほど工夫をしない。
もちろん、当人は工夫をしている「つもり」になっているが、外から見ていると工夫の「くの字」もない。
それは「出来るようになりたい、と思っているだけ」だからだ。
それは、その人の「出来たい」という希望や欲求が曖昧かつ漠然としているからだ。
だから、何を工夫すれば良いのか、が見える筈もないのだ。
もちろん、当人は自分の「思い=出来たい」を、曖昧だとも漠然としているとも思っていない。
というのは、そういう視点を持っていないから、考えたことも無いのだ。
逆に自分の「出来たい」を実現する人は、希望や欲求が明確だ。
だから、出来る、出来ないは、明確か漠然としているのかのどちらかだ。
ここには、そうそう複雑な構造は潜んでいない。
夢と現実は紙一重だ。
夢、つまり、「出来たい」というのが夢だ。
「思っているだけ」というのも、もちろん夢だ。
しかし、それを出来るようにしていないのは現実であり、現実を生きる自分だ。
そこに紙一重という溝がある。
しかし、実現している人は、夢も現実も同じ次元にあるということになる。
私が道場を建てている時、多くの人が見学に来ていた。
見学に来ていた人の共通の言葉は「夢があって良いですね」だ。
私は「えっ、夢なんて無いですよ、作業を続けたら建ちますから」
出版記念トークライブショー11月12日(土)午後2時~4時
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98回武禅のレポートをアップしました。
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