数年で存在感を増していた
明後日から沖縄だ。
そろそろ時差ボケも治まると思うのだが、突然の眠気には往生する。
先日、スタンダップコメディの清水ひろしさんとぜんじろーさんのライブを観に行って来た。
沖縄で皆が見に来てくれて嬉しかったこと、地方の先々でも日野武道と関わりのある人が、来てくれたことを感謝された。
こういう話を聞くと嬉しくなる。
以前は孤軍奮闘されていた清水さんが、ぜんじろーさんと組み、お二人で舞台をするようになった。
それから数年の内に、スタンダップコメディ協会を起ち上げた。
このスピード感が素晴らしい。お二人共海外にも舞台を求め、それぞれに奮闘されている。
自分の居場所に留まらない、という感覚が好きだ。
とにかく、猪突猛進の人は好きだ。
それは、そこに絶対的に存在するアクシデントや、どうしようもない壁と葛藤しなければならいし、それを乗り越える気持ちを持っているからだ。
つまり、人間的に分厚いのだ。
もちろん、アクシデントや壁を乗り越えて言っているので、話題が豊富だ。
何よりも、それらをクリアした時、全て笑える出来事と化すからだ。
自分の人生を、自分の生き様を笑える。
これこそ人生冥利に尽きるからだ。
笑えない人というのは、死力を尽くすような事ではないからだ。
このお二人は、百%全力だ。
それが伝わってくるから好きなのだ。
そういう人達と出会うと、その溢れるエネルギーに圧倒される。
それがたまらなく好きだ。
イミグレーションで
Who are you?
? Hiroshi Shimizu.
No~~~!!
これだけで、私達観客は笑い転げのたうち回った。
しかも、未だにくすぼっているから凄い。
道を歩きながらNo~!と思わず吐いてしまう。
将来を嘱望され、野球ファンの期待を一心に受けバッターボックスに立つ清原。
ファンからの声援が飛ぶ。
「打てよ清原!」「打て!打て!打て!」
このじっくりと迫ってくる笑いはたまらなく心地よい。
落語の考え落ちに通じるのでは…。
同様に道を歩きながら「打てよ清原!」絶叫してしまう私!
思わずニヤッ!笑いの質が違うところが、このお二人の面白いところだ。
そのお二人が同じ舞台に立つというのは、「一緒にやろうよ」という軽いノリだろうが、その体内にある猛然と燃える炎が半端ではないだろう。
文楽で、太夫の熱が溢れた語りなると、人形が霞んで来る。
人形に熱が入ると、太夫の謡はBGMに成り下がる。
もちろん、お互いに競っているのでないし、スポーツのように競うものではない。
しかし、無意識的な関係性が、自ずとその構図を作り出す。
そのそれぞれの芸とは、無関係に創りだされるその空間が、熱い熱い気持ちをもたらしてくれるのだ。
フリージャズをやっていた頃、私のバンドは正しくこれだった。
だから、観客は伝染し燃えてくれた。
素人の私が、プロのコメディアン、しかも海外でも勝負を賭けているお二人に何かを言える事は無いが、お二人共数年前とは比べられない、存在感を漂わせていた。
数年という時間、どれほどの切磋琢磨があったのかは想像だにできないが、正しく自分に観客に徹底的に向かあっていったのだろう、ということだけは分かる。
「どうしてやろうか」という闘争心が、身体中を駆け巡っているのが伝わってくる。
それがたまらなく嬉しい。
観客はそれぞれに違う。
「笑い」というジャンルは、誰もが言う通り最も難しい舞台パフォーマンスだ。
その舞台にまな板の鯉状態で勝負する生き様。
経堂の駅から歩いて数分。
小屋に付くと、清水さんもぜんじろーさんも笑顔で迎えてくれた。
当たり前の事だが既に始まっていた。
お二人の意識に飲み込まれ、椅子に座る前からワクワクしてくる。
今日は、何をぶつけてくれるのか!
「それでは始めます!」
「オ~~~~!!!!!!」