自分を鼓舞するには
来月発売される拙著の「あとがき」で苦戦している。
編集者から「来月22日発売ですからね」と、矢のような催促。
「当たり前か」
アイディアが出ない時は、どうにもならない。
書くのは簡単なのだが、そのアイディアが問題なのだ。
そこには、「何を語りたいのか」があるからだ。
切り口を間違うと、前には進まない。
だから、書くしか無い。書いて書いて、ああでもない、こうでもないで出来た文章を削り込み、一つのまとまりにするのだ。
1.000文字という指定もある。
こういう絶体絶命状態が、実は好きなのだ。
それは、そこにこそ実力が見えるからだ。
自分はどれほどのものなのか、その答えがそこに垣間見えるからだ。
だから、その意味では自分を窮地に追い込む。
常に窮鼠猫を噛む状態を作り出すということだ。
ここを乗り越えた時の爽快感は、何事にも代えがたい。
もちろん、仕事だから出来て当たり前なのだが。
10代の頃から、自分自身にこの手法を使ってきた。
「ここ一発が強い」としてきたのだ。
これは、中学の時の体操の試合で発見したことだ。
大阪代表に選ばれ試合に臨んだ。
それぞれの種目前に、僅かな練習時間がある。
その時に、競う相手の実力が見える。
大阪の監督が「日野君、トップだからそこそこの点を出さなければいけない、そこで、もう一つ技を増やさなかったら、それは無理だ」と私に告げた。
ここにきて演技の内容の変更、そして演技を一つ増やす。
しかも練習時間が無い。
考えるまもなく、競技は始まり私の名前が呼ばれた。
鉄棒にぶら下がり演技を始めた。
演技の最中に一か八かで決断し実行した。
やったことのない組み合わせだ。
そうしなければ演技を一つ増やせないからだ。
演技が終わり、結果最高得点を叩きだした。
ここが「ここ一発に強い私」を信じる根拠になった。
以来このままだ。
人は崖っぷちに立つと人が変わったように強くなる。
やむにやまれずという状況を作り出す。
それも自分を開花させる手段の一つだ。