向き合う力が必要だ

「余計なことを考えるな」とは誰でも知っている。
私の口癖でもある。
しかし、何が余計な事なのかを気づく人は少ない。
それは、その人にとって全部余計ではないからだ。
自分の思考、自分の感性が思ったり考えたりしているからだ。
私が言う余計なことというのは、「当たり前に分かっていること」とでも言おうか、例えば、舞台で失敗しないように美しく踊りたい、と思っており、その事を思いながら訓練をしているとする。
それが余計な事なのだ。
「何でや!」と声が飛んできそうだが、余計な事なのだ。
しかし、よく考えて見て欲しい。舞台に臨む全ての人は、同じことを思う筈だ。
その事を実現する為に訓練を繰り返すのだから。
そして、舞台袖で「これだけ一生懸命やって来たのだから、失敗するはずはない」と先生からアドバイスを受けたり、自分に言い聞かせたりする。
それも余計な事なのだ。
余計ではないのは、自分の「今」取り組んでいることと向かい合い、そのことに集中すること、それ以外には必要ないのだ。
そうするから、「今の自分」の問題点を発見したり気付いたりでき、失敗しない舞台を現実化したり、美しい踊りを現実化させえるのだ。
つまり、「思っていることを現実化させる為」の事に集中しろというのだ。
そして、それ以外の事は余計な事なのだ。
仮に舞台袖で「失敗しないように、そして美しい踊りを」と意識したとすると、それは頭の片隅に残り、余計な緊張が生まれ、舞台での良い緊張感を味わい、その緊張感で実力以上のものを生み出すことは出来ないからだ。
余計な緊張は、身体もこころも萎縮させるからだ。

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