天才でなくて良かった

8月に発売される書籍の為に、新しい項を書いている。
雑誌「秘伝」で1997年辺りから連載していたものを、編集者がまとめ一冊にするのだ。
それを読み返していることは、度々ブログで紹介している通りだ。
しかし、私の欲求としては、もう既に書いたことは、私が経過した事なので、本当は改めて出したいとは思っていない。
出すのであれば、現在の私の状態というか、研究しているところのモノを加えたい。
そこが現在手間取っており、今も執筆中なのだ。
書いていてつくづく思ったことがある。
それは昔日の達人達の天才性を、私は持ち合わせていない事が幸いしているということだ。
天才ではないから、試行錯誤しなければならない。
それこそ、脳みそから血が出るくらい考えなければならないし、稽古をしなければならない。
そういった体験が、逆に天才達には分からない視点に気付いていったのだ。
その典型が「全ての人は違和感を感じる」という気付きだろう。
このことは、武道のみならず人間関係の全てのジャンルで活用することが出来るのだ。
そもそもは、稽古の中で発見したピクッという攣縮という筋肉反射だ。
ここに端を発し、「人間関係」の大事さまで行き着けたのだ。
そう思った時、天才に憧れはするが、天才で無くて良かったと思う。
大上段で振りかぶって云えば、地球に生物が誕生し、劣悪な環境の中をくぐり抜け現在生きる私達人間。
動植物は環境に適応するように、進化というか変化を繰り返してきた。
人は「智」というものを手に入れ、それを武器として現在を創りだして来た。
その「智」を実感出来るのは、天才ではないからだ。
そんな壮大な事も考えられることこそ智であり豊かさそのものだと、つくづく思う。

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