省吾はええで

まだ雲はあるが、天気予報通りの晴れになる模様。
道場を掃除して、明日からの「武禅」の準備は着々と進んでいる。
先日、松ちゃんとの思い出を振り返っていた時、ふと周りの連中が「省吾はええで」という話を耳にしたのを思い出した。
私のマネージャー的な役割をやってくれていた一人も「アキラ、省吾はええで」と言っていた。
何故か気になっていたのだが、たまたまTVでその省吾という人の劇団にいた人が、その思い出を話していた。
で、netを検索すると、相当面白い人だったようだ。
どうして、その当時に会えなかったのか。
多分、会ったとしても何も起こらなかったからだろう。
その省吾なる人物は、太田省吾さんだと分かった。
その奥さんが綴っている言葉を発見した。
「太田は、渾身の台詞が『能楽堂からカーンと蹴飛ばされ、600年の伝統に比べ、たかだか100年の現代劇の台詞は、はじき飛ばされ、拒否されたように感じた』と~」これを読んで、こんな感性を持った人がいたのかと、狂喜乱舞した。
数々の賞を受賞した「小町風伝」の製作時の時だそうだ。
また「文学にしろ、絵画にしろ、演劇にしろ、表現は響き合う感性に出会わなければ、存在しないのと同じ」とも語っている。
もちろん、私には太田省吾さんがどういう意図でこの言葉を使ったのかを知る由もない。
しかし、もちろん、私とは全く違った意味合いを持っていたとしても、「能楽堂にカーンと蹴飛ばされ」と合わせた時、私の前か横か上かは分からないが、気配があることに嬉しく思ったのだ。
昨今、響き合う感性などという言葉は、コンビニの数以上出回っているキャッチコピーだろうが、それは全く異なった代物だ。
そんな言葉を聞けば「それをやって見せてくれ」と私は何時も言う。
何よりも「能楽堂に蹴飛ばされ」という感性がなければ、この響き合うも力を持たないのだ。
芝居をするのではなく演劇をしよう、という言葉も好きだ。
太田省吾さんについて、色々と知るほどに、やはりその時代には会えなかったことが理解できる。
今、こうして残された言葉と出会えたことが、私の順序だったのだ。

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