あるオーディション風景から

昨夜は気分が悪く、中々眠れなかった。
日中の作業が祟ったのだろう。
見るとは無しにBSを見ていると、若いBalletダンサーのオーディション風景だった。
何のオーディション化は分からなかったが、テレビで放映するくらいだから、有名な公演の為のものだろうとは分かる。
男性のBalletが続いた。
「この子はいいな」と思った男性は、きっとBalletが大好きなのだろう、という気分が伝わって来た。
一人は一生懸命「動き」をやっていた。動きをやっているから、動きは重いし身体は小さく見える。
結局、この二人が合格。
女性も数人合格した。
審査はフランスの振付家だった。
演目は「ナポリ」ともう一つ。
リハーサルに入り、それぞれに指示が出されていく。
こういう風景を見るのは楽しい。
振付家は何を見ているのかを知ることが出来るからだ。
そのフランス人は、私がダンサー達にアドバイスする言葉と同じ言葉を話す。
「関係性が見えない」と。
もちろん、若いダンサー達には難しいかもしれない。
しかし、感性が豊かであれば気づく事だ。
というのは、その若いダンサー達も、もっと子供の頃からBalletをやっていたから、そのオーディションに居り合格しているのだ。
その子供の頃、どんなダンサーになりたいと思ったのか、どんな舞台に立ちたいと思ったのか、が有る筈だからだ。
そして、Balletの何を見ていたのかもあるし、先生からどんな指導を受けて来たのかもある。
そんな中で「関係性」という言葉を持っていなくても、気付く事があるし、その要素で満たされているのが舞台だ。
そういった事の集大成としての現在だ。
振付家は「ダンスとは、舞台とは、を考えて欲しい、それのヒントを与えている」とも言っていた。
女性二人と男性一人が二組踊る。
そのチームは、リハーサルを重ねるごとに良くなっていく。
良くなるというのは、振り付けを自分のものにしていっているということと、その内容を把握している、そして、その作品に入ろうとしているのが見えだしていた、ということだ。
男性と女性のデュオは、内容を理解しているがそれが出来ない。
「関係性」そのものが見えて来ないのだ。
女性を見ていて「これは無理」だと感じた。
というよりも、Balletが好きではない事が見えるのだ。
Balletではなく「動き」になっているのだ。
その女性を見ていて、先ほどの子供の頃からBalletをやっている筈なのに、という言葉になったのだ。
きっとこの女性は、身体が動いたのであろう。
その事を先生から褒められたのだろう。
もちろん、このオーディションに合格している程だから、誰よりも動きの技術は高いのだろう。
しかし、根本的なBalletというものの感性が育っていないのだ。
それは、振付家に指摘された時の反応に現れていた。
本番、3,000人の観客の前で始まった。
6人のチームは、はつらつとしているように「見えた」。
2人の方は何だか分からない。
この振付家の意図が、若きダンサー達に伝わったのだろうか。
ブログで書いたように、昨年11月と今年の2月、4週間に渡ってアムステルダムで、Balletのワークショップを開いてきた。
オープンクラスの時、パリ・オペラ座のバレークラス出身のダンサーが秀逸だった。
「ありがとうございます、ベジャールのカンパニーに合格しました。日本で会えるかもしれないです」と、それこそ満面の笑みで、本当に嬉しそうに話してくれた。
この「本当に嬉しそうに」という感性が何よりも大事なのだ。
この感性があれば、関係性が出来ていなくても、出来ているように見せる事が出来るからだ。
頑張れ、若きダンサー達!

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