場が分からない人
色々な教室が有る。
それを習いに来る人がいる。
もちろん、セミナーやワークショップも同じだ。
当たり前の事だが、そこには必ず先生というか講師というか、そういった指導者がいる。
その人達の元にワークや授業が進行する。
しかし、しかし、そういった人数が集まる場には、必ずと言ってよいほど指導者の言ったことを自分なりの解釈で、同じ受講者に教える人がいる。
ひどい場合は、指導者を否定している事もある。
人数が多ければ1%はいないかもしれないが、10人単位だと一人はいる。
こういう人は一体どんな人なのか?
そんなことに興味が湧く。
どんな人というのは、どんな日常、どんな人生、周りからはどう見られている人なのか。
そんなことだ。
単純には「寂しい人なのだろう」と思う。
それは、自分を他人に押し付ける人だから、当然周りの人はうっとうしくなって離れていく。
あるいは、自分を偉いと思われたい人だから、これも煙たがられる。
もちろん、こういった人の殆どは、ある程度の年齢の人だ。
若い人達の中には、余りみかけない。
しかし、当人はそうだとは気付いていないから、それを繰り返す。
私のワークショップでも、そういった人は見かける。
時々は注意をする。
すると、次の時間からいなくなるのだ。
人に注意を受けたことも無いから、その事に相当ダメージを受けたからだ。
注意を受けるというのは、その人を無視しているのではない、ということの一つの現われだ。
それすら体感出来ないくらい、自分が無視されるように生きて来ているということだ。
叱られ上手という言葉がある。
それは間違い上手とも共通する。
どうも私は自然にそれが出来ていたようだ。
叱られっぱなし、間違いっぱなしをよくやっていた。
また、人が怒るのも面白いから、わざとそうして楽しんでいたという時期もあった。
もちろん、10代前半だが。