昨日は明鏡塾
昨日は「明鏡塾」三期生の4回目だった。
全員、一つの事に集中するまでの時間が、相当短縮されてきた。
直ぐにやるべきことに集中出来る回路が出来ていた。
治療も当然、技術が必要だ。
しかし、普遍的な技術というものはない。
それは、各人各様に異なるからだ。
「こうすれば、こうなる」という、まるで数学のような、あるいはPCのような状態は起こらない。
そんなことは、誰しも知っている筈だが、往々にして人は「こうすればこうなる」を求める。
例えば、私が「こうすればこうなった」があるとしても、それを全ての人に適応するには、その「こうすれば」という質が天文学的な向上が必要だ。
ということを、誰しも想像出来るはずである。
ではどうするか。折角、誰かの役に立ちたい、身体を回復させて上げたい、という崇高な目的を持っていながら、そのことを実現させられないのは苦痛以外の何物でもない。
それは、自分自身の感性の質を上げることだ。
その事で、自分の持つ技術を「誰にでも」に当てはめる事が出来るようになるからだ。
もちろん、一朝一夕の話ではない。その突破口、あるいは、入り口を見せているのが「明鏡塾」だ。若いセラピストには技術の練磨と、生きる姿勢を。
熟練のセラピストには、固定観念の払拭を。といった、個々に適した指導をしている。
それぞれが、それぞれの生きる世界で活躍して欲しいからだ。
そして、患者さん達に、安心という目に見えない治癒力を発動させてもらいたいからだ。