言われた事が出来る事で見えてくるもの

何かを習っているとする。
その時先輩や、先生方のアドバイスが全部違うとする。
昔は、それはいけないと思っていた。
もちろん、それが統一されている方が、習う側からすると分かりやすいのは確かだ。
しかし、例え間違ったアドバイスでも、それを続けることで、正しいこと、あるいは修正されることがあった時、即座に正しく、もしくは修正された事が出来るのだ。
昔は、仕事絡みの事で、「どうしてAとBの指示が違うのか、ええかげんにしろ」と、相手の間違い、仕事場そのものの間違いばかりを指摘していた。
つまり、「文句言い」だったのだ。
しかし、年を取ると共にそこは変化していった。
文句を言っている時は、自分自身が何もしていないことに気付いたからだ。
文句を言うことで、自分が出来ないことを正当化していただけだ。
よくよく考えると、文句をいう必要などどこにもない。
言われたこと、指示されたことをやれば良いだけだ。
それをやることで、言われたことが出来る、という能力が身につくからだ。
その上で、その指示がたとえ間違っていたとしても、その能力があるから、直ぐに修正が効くのだ。
しかし、この言われたことがやれる、ということで、指示を出した人の能力の無さが赤裸々になることもあるし、その事に気付かない周りの人の能力も暴露されることもある。
ジャズドラマーの時、ある有名なフルバンドのオーディションを受け無事受かった。
そのフルバンドのバンマスは指揮をする。
最初は、余り指揮を気にせず譜面ばかりを追いかけていた。
というのも、譜面を演奏するのが得意ではなかったからだ。
その事を勉強するのが目的で、そのフルバンドに入ったのだ。
私が入団した初日、バンマスが指揮をした。
1ステージ目は、先ほどの通り譜面を追いかける事に終始した。
2ステージ目にバンマスが「日野君、指揮を見て」と言った。
私は仕方なく、指揮に注意を向けて演奏した。
すると、バンマスが「日野君リズムがふらつくよ」と指摘した。
私は「そうかなぁ」と思いながら、もっと指揮に注意を払った。
「日野君もっとしっかり」またバンマスに言われた。
私はリズムキープや、スゥイングさせるのには自信があったから、内心「嘘や〜」と思いながらも「ハイ」と頷いた。
しかし、今度はカウントと指揮とを比べる様にしていった。
すると、指揮そのものがずれていることに気付いた。
私が指揮に忠実にコントロールされていたから、言われたことを言われた通りにやっていたから、リズムがブレていたことを発見したのだ。
次に指摘された時「バンマスの指揮がずれてましたよ」と言った。
するとコンサートマスターが「いや、日野くんがズレているで」とバンマスの肩を持った。
さて。

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