お手軽な言葉

色々な種類の人達と会話をするのは楽しい。
言葉の内容ではなく、言葉の源を推理できるからだ。
このことを深く考えずに話しているな、とか、他人の話を聞けない人、という具合に分かるし、言葉の構造の理解度を知ることも出来るからだ。
以前は、職種が変われば、言葉が変わる。
その言葉に惑わされていた。
あるいは、社会的な肩書などにも惑わされていた。
しかし、じっくり物事を考える、という習慣が付いてからは、それは一切なくなった。
つまり、ある種の固定観念が払拭されたということだ。
だから、色眼鏡で人を見なくなっている。
言葉としては、こういった「色眼鏡で人を見てはいけません」と昔から言われ続けてきているが、その色眼鏡が外れた試しはない。
色眼鏡以前にある、固定観念の方が先に植え付けられてしまっているからだ。
しかし、この自分の色眼鏡を外すという作業は、死んでも止められない。
どこまで行っても、自分自身の思考や感覚という色眼鏡があるからだ。
多分、もっと他に色眼鏡を外す方法があるのだろう。
それは、もっともっとじっくりと腰を据えなければ分からない。
ただ、そのヒントは既に体感している。
正しく正面向い合いの最中の事だ。
この瞬間は、色眼鏡は無い。
だから、何もかもが明確だ。
「ただ有る」を体感・実感しているだけだ。
そこから云えば、自分を肯定するも受け入れるも、否定も無い。
それらは単なる言葉というよりも記号だ。
なぜなら、そんな実感を得ることは出来ないし、自分を説得出来る筈もないからだ。
から、只の言葉遊びでしかないのだ。
でも、世間はこういった記号が好きだ。
何故だろう。
自分とは関係のないものだからだろう。
何よりも、お手軽だからだ。

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