答えは無いからこそ

先日の「明鏡塾」体験セミナーでも話したのが、「今、解っては駄目だ」だ。
感覚の話、治療の実際の話他、色々実際的な話をした。
しかし、全てを「今、解っては駄目」ということだ。
もちろん、多くの体験があり腑に落ちる人もいただろうが、そういった人も含めて「今、解っては駄目」なのだ。
自分の現場に持ち帰り、「あれは、どういうことなのか」と自らの頭をひねって欲しいからだ。
その時に出した「解った」を疑い、もっとこういうことかもしれない、と発想を広げて欲しいからだ。
理想を言えば、どうしてその言葉を並べたのか、というところまで、現場での作業、患者さんとの関わりを含めて考えて欲しいのだ。
そうすることが、自分自身の姿勢を作り出すからだ。
理解できたとしたら、その事はそれで終わってしまう。
記憶の片隅で埃をかぶってしまうのがおちだ。
いい話を聞いた、で終わってしまい、実際の現場では使えないものになる。
明日は恒例の特別養護老人ホーム研修の打ち合わせだ。
そこで施設長に抜擢された女性は、「こういうことでしたか」と何時も私に問いかける。
しかし、私は答えを知らない。
答えはその人のものだからだ。
しかし、その人のものでも、実際には答えは無い。
時間を止めた時が答えになるだけだ。
考え続ける、行動し続ける、よりよい答えを導き出すために。
それが人間だから出来る最良の仕事だ。

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