目的を持っている人は偉い3

愚息が小学生の頃、今から30数年前オーストリアの哲学者・ルドルフ・シュタイナーの教育論を知った。
ものの考え方は別として、根底にある例えば色彩に付いての解説を読む内に、一つの疑問を得た。
それは、シュタイナーの言う、例えば「赤色」と私の認識する「赤色」は同じなのか、という疑問だ。
それは、ジャズをやっていた当時から、薄々感じていたことなのだが、明確ではなかった。
同じリズムでもメトロノームテンポとしては同じだが、何かが違うと感じていた事だ。
もちろん、優劣の話ではない。
その何かが違うという感覚は、私の中に有るものの正体を浮かび上がらせてくれる鍵になっていることを、この歳になると分かってきたのだ。
このように、その時、その場でぶつかった疑問や興味に対して突っ込んでいくから、目的も目標も持ったことが無いのだ。
ましてや夢という長期的展望も持ったことが無い。
この私の中にあるものの正体を知る、もしかしたらそれが私の目的なのかもしれない。
そんなことを思うと、人は改めて目的や目標を定める必要はなく、自分を振り返ればそこにレールが見える筈だ。
時間軸という便利なものがあるので、それをたどれば自分は何を行動してきたかが分かる。
その延長線上が自分の目的であり目標である、かも知れない。

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